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あの日、「月曜の記事どうする?」-計画停電になんか負けないぞ

2011年3月19日、予定通り全面開通した「北関東道」、開通と同時に「支援の道」に。写真は最終開通エリアの太田インターから足利(上方)方面

2011年3月19日、予定通り全面開通した「北関東道」、開通と同時に「支援の道」に。写真は最終開通エリアの太田インターから足利(上方)方面

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 2011年3月11日朝、高崎前橋経済新聞はいつもの通り、街ネタの一つとして高崎の百貨店の「理由ありセール」の盛況さを伝えた。

計画停電を「自家発電」で乗り切った高崎の中華料理店

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 前橋は震度5弱、と5強。編集部の入るビルは階段の壁が少し落ちたくらいで、大きな被害はなかった。事件・事故を扱わず、限られたエリアの「明るい」話題を通じて地方の今を伝えてきた編集部。14日に配信を予定していた記事はホワイトデー向け商品の記事だった。大地震に加えて原発事故という未曽有の災害を前に、何を取り上げたらいいのか、編集方針はすぐには決まらなかった。

 編集部には専任のスタッフはいない。運営母体のスタッフが兼任している。計画停電の影響を受けるクライアントのインターネットなどによる情報発信をサポートする一方、伝えるべき街ネタを模索した。

 13日には計画停電の実施が発表される。ガソリンスタンドに長蛇の列ができた。私たちも通勤に必要なガソリンの確保が困難になった。

 そんな中、前橋、高崎では地震の揺れが収まると同時に、官民問わず支援の取り組みが始まっていた。開通を目前に控えた「北関東道」は開通と同時に、群馬と被災地を結ぶ道となった。

 一方で、送り先の決まらない支援物資、JR両毛線の運行が再開されず通学できない高校生。被災地の被害の大きさに隠れていたが、14日から登校できなくなった高校生は20日を過ぎても自宅学習を続けていた。一部の野菜は出荷制限に引っかかった。

 飲食店は遠のく客足の引き止めるすべがなかった。「内食」の増加は震災後、「なるべく家族と一緒にいよう」という考えからと言われるが、計画停電とガソリン不足が外食離れを助長した。2年たっても「震災後に遠のいた客足が戻らない」と苦悩する飲食店は少なくない。

 株価がリーマンショック前の水準に戻った。震災と原発事故の被災地の復興を第一に、間接的な影響に翻弄(ほんろう)された地方にも明るい話題となることを願わずにいられない。

 1日1本、今までもこれからも編集方針は、街の記録と応援だ。

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