群馬の鐘楼・梵鐘を計測-前橋の研究者が「まとめ本」

本の表紙に使った水彩画「清水寺」(下仁田町)の原画。70歳を超えてから描き始めたとは思えない作品

本の表紙に使った水彩画「清水寺」(下仁田町)の原画。70歳を超えてから描き始めたとは思えない作品

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 寺院の鐘楼と梵鐘の研究者、木暮幹夫さん(前橋市在住)が出版した「群馬の鐘楼と梵鐘」が歴史的建造物フリークの間で話題になっている。

原稿・図表作成のためにパソコン操作も…

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 木暮さんは1928年、安中市生まれ。病害虫のオーソリティーとして群馬県農業試験場、県農業技術課、病害虫防除所、住友化学などで病害虫駆除の研究に取り組んだ。

 木暮さんが絵を描くようになったのは1999年、住友化学を退職する際にスタッフからイーゼルを贈られたのがきっかけ。それまで絵筆を握ったことはなかったが、群馬県内の社寺仏閣を訪ね歩き鐘楼を描き始めた。

 「鐘楼を描くうち、屋根や天井の名称、後で『木鼻』とわかったが、柱などに付けられている装飾の名称など何も知らずに描いていることに疑問を覚え、最初は寺で教えてもらった」(木暮さん)という。

 探究心に火がついてしまった木暮さんは教授を願い先駆者を捜したが、「奈良や京都にはいるが、群馬のようにごく普通の県には研究者がいなかった。唯一、手に入ったのは石田肇群馬大学教授の資料だった」(同)と振り返る。

 2001年、木暮さんは本格的に鐘楼と梵鐘の研究を始める。鐘楼も梵鐘も歴史的背景を調べるとともに、すべて現地で計測。県内160カ所以上を訪ね、100カ所以上の鐘楼と梵鐘のデータをまとめ上げた。

 「梵鐘の計測は大変だった。持参した脚立では足りず、寺でもっと高い脚立を貸してもらったり、中には手伝ってくれるご住職もいた。また、鐘の下で口径を計測している最中に鐘が鳴り、びっくりしたこともあった」(同)と、ドリフターズのコントのような体験を笑う。

 前橋、高崎周辺では「妙見寺」(引間町)などがこの自動鐘突きシステムを導入しており、「確か妙見寺でだったと思う」(同)と懐かしそうに目を細めた。

 木暮さんの計画では群馬県内すべての鐘楼と梵鐘を調べることになっていたが、調査の途中で病魔に襲われ、「病気と高齢に勝てずいくつかの古鐘が未調査に終わり、近代鐘の40数基も残っているのが心残り。群馬の鐘楼と梵鐘に興味を持ってくれる人が引き継いで完成してもらえたら」(同)と話している。

 「夢中になって計測している時には、本にまとめて販売するなんてことは全く頭になかった。息子はよく売れたと言ってくれるが、物置にある段ボールを見るともちょっと売れてくれたらと思う(笑)」(同)とも。

 100カ所以上の鐘楼と梵鐘をまとめた「群馬の鐘楼と梵鐘」(444ページ、3,000円)は現在までに350部が売れ、残りは150部。「群馬の鐘楼と梵鐘」サイトでのみ取り扱っている。

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