2011年3月11日朝、高崎前橋経済新聞はいつもの通り、街ネタの一つとして高崎の百貨店の「理由ありセール」の盛況さを伝えた。
前橋は震度5弱、と5強。編集部の入るビルは階段の壁が少し落ちたくらいで、大きな被害はなかった。事件・事故を扱わず、限られたエリアの「明るい」話題を通じて地方の今を伝えてきた編集部。14日に配信を予定していた記事はホワイトデー向け商品の記事だった。大地震に加えて原発事故という未曽有の災害を前に、何を取り上げたらいいのか、編集方針はすぐには決まらなかった。
編集部には専任のスタッフはいない。運営母体のスタッフが兼任している。計画停電の影響を受けるクライアントのインターネットなどによる情報発信をサポートする一方、伝えるべき街ネタを模索した。
13日には計画停電の実施が発表される。ガソリンスタンドに長蛇の列ができた。私たちも通勤に必要なガソリンの確保が困難になった。
そんな中、前橋、高崎では地震の揺れが収まると同時に、官民問わず支援の取り組みが始まっていた。開通を目前に控えた「北関東道」は開通と同時に、群馬と被災地を結ぶ道となった。
一方で、送り先の決まらない支援物資、JR両毛線の運行が再開されず通学できない高校生。被災地の被害の大きさに隠れていたが、14日から登校できなくなった高校生は20日を過ぎても自宅学習を続けていた。一部の野菜は出荷制限に引っかかった。
飲食店は遠のく客足の引き止めるすべがなかった。「内食」の増加は震災後、「なるべく家族と一緒にいよう」という考えからと言われるが、計画停電とガソリン不足が外食離れを助長した。2年たっても「震災後に遠のいた客足が戻らない」と苦悩する飲食店は少なくない。
株価がリーマンショック前の水準に戻った。震災と原発事故の被災地の復興を第一に、間接的な影響に翻弄(ほんろう)された地方にも明るい話題となることを願わずにいられない。
1日1本、今までもこれからも編集方針は、街の記録と応援だ。