2003年11月に閉園した遊園地「カッパピア」(高崎市石原町)跡地利用の基本計画発表から1カ月、市民から「キャンプ場も入れて」などの声が寄せられている。
「カッパピア」(運営=旧高崎フェアリーランド)は、1952(昭和27)年に開催された「新日本高崎子ども博覧会」の用地と施設をそのまま引き継いだ上信電鉄が「高崎フェアリーランド」の名称で運営を開始。1969年にオープンしたプールの名称=カッパピアが、同施設自体の呼び名となって定着し、広く知られるようになった。
最盛期には年間60万人もの入場者があったカッパピアの経営が傾いたのは、1990年代に入ってから。その後、来場者は年間10万人以下まで落ち込み、アトラクションの老朽化が追い打ちをかけるかたちになり、2003年11月に閉園、運営会社は翌年2月に破産した。負債額は10億円だった。
以降、権利問題が解決されないために放置された施設は、さまざまな犯罪の温床と化した。また、一部で「心霊スポット」などと評判になったこともあり、余計に不法侵入者が増え社会問題化した。権利問題の解決に時間がかかり、高崎市がカッパピアの解体と跡地利用に着手できるまで4年を要した。
同市は再生にあたり、高崎市経済大学の大宮登教授を筆頭に19人で構成するプロジェクトチームを結成。今年8月4日、「観音山公園」の基本構想を公表した。着工は来年4月以降。
「観音山公園」の概要は「現況の跡地の地形や起伏、樹林等の自然環境を有効活用した、自然にふれあうことができる公園」をコンセプトに、観音山丘陵の中心となる施設とするもの。
大宮教授は「『子育てに役立つ施設に。たとえば子どもも宿泊できる研修施設』などの要望があったが、地盤の関係で難しかった。同じく要望の多かった野外ステージについては将来的に利用可能なスペースを確保した。幸い緑が豊かで野鳥観察などができる環境にある。自然を生かした空間は子どもだけでなく高齢者をはじめとする市民が憩える場になるはず。安全性を考慮した上でだが、全部完成するまで待つのではなく、可能な限りでき上がったところから開放するよう市に働きかける」と話す。
同市には「構想にキャンプ場を加えて」など市民からの要望が寄せられており、同市公園緑地課担当者は「山と言っても人里離れた場所ではないため、周辺の住民生活との兼ね合いで今のところキャンプ場は考えていないが、意見や要望を聞かせてもらえたら」と呼びかけている。
「心霊スポット」といわれた廃墟が公園として生まれ変わるのは2013年4月ごろの予定。