教科書には載っていない「小栗上野介」-領地、高崎で初の資料展

ワシントン使節として米国を訪問した際の記念写真。前列右から2人目が小栗上野介

ワシントン使節として米国を訪問した際の記念写真。前列右から2人目が小栗上野介

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 作家の故司馬遼太郎氏に「明治の父」と言わしめた小栗上野介(1827~1868)ゆかりの高崎で、「小栗上野介と幕末維新の高崎」展が開催されている。会場は高崎市歴史民族資料館(高崎市上滝町、TEL 027-352-1261)。同市での小栗上野介に関する展示は今回が初。

小栗上野介のポートレート

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 小栗上野介は江戸時代末期の幕臣で、渡米の経験から海外の先進文化を持ち帰り紹介したことにより、近代日本の基礎作りに貢献したと評価されているが、歴史の教科書では馴染みが薄い。

 江戸初期から、上野国群馬郡権田村(かみつけのくにぐんまぐんごんだむら)、現在の高崎市倉渕町権田は小栗家の領地だった。小栗上野介自身と高崎との直接的な関わりは1868年3月、幕府から帰農許可を得て権田村に移住したことに始まる。

 一族そろって権田村の東善寺(同市倉渕町権田)に移った小栗上野介は、移り住んでからわずか2カ月後には官軍に捕われ、烏川の水沼河原(高崎市倉渕町水沼)で斬首されるという悲劇的な運命をたどった。

 約30年ほど前から小栗上野介についての研究を始めた東善寺の村上泰賢住職は、「小栗上野介は『幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命に限りはない。幕府のために成すこともひいては国のため』、また『公務に尽くすのが真の武士だ。後は野となれ山となれと言って退散するのはよろしくない』と最後まで力を尽くした」と力を込める。

 日本の歴史に詳しくない人にまで小栗上野介の名が知られるようになったのは、1990年代にTBS系で放映された「徳川埋蔵金」発掘をテーマにした番組がきっかけだ。しかし、徳川埋蔵金への小栗上野介の関与については諸説入り乱れている。

 村上住職は「もしも本当に世間で言われているような金塊なり小判を運ぶ場合、約2,000頭の馬が必要になると割り出した人がいた。馬が2,000頭なら馬方だけでも2,000人、パワーショベルもブルドーザーもない時代にどれくらいの人手が必要になるか。それだけの馬や人を見たという言い伝えも聞かない。それより何より小栗上野介は金を生かして使う人。埋めるだけの黄金があれば、役立つことに使ったに違いない」と話す。

 小栗上野介の死去から140年。「小栗上野介と幕末維新の高崎」展では小栗上野介の遺品や関係資料を展示し、「小栗上野介が生きた激動の時代の高崎をわかりやすく紹介」(高崎市担当者)している。

 開館時間は9時~16時。月曜休館。入館無料。11月24日まで。

 10月18日には村上住職による講話「小栗上野介に学ぶ」と幕末維新の史跡めぐりを開催する。「すでに定員に達しているようだが、本堂にはまだまだ余裕があるので興味のある人はぜひ参加を」(村上住職)とも。

 10月26日には「開明の人、小栗上野介」11月1日には「幕末維新と岩鼻」、11月16日には「幕末維新、高崎藩の動向」をテーマに記念講演が開かれる。定員は各50人で、事前申し込み必要。

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