9月30日に亡くなった落語家、三遊亭圓楽さんは「曹洞宗釈迦尊寺」(前橋市元総社町)の墓を取得しただでなく、2016年に出家していた。
三遊亭圓楽(本名 会泰通=あいやすみち)さんは1950年、東京都墨田区で生まれた。青山学院大学在学中、5代目三遊亭圓楽(1932~2009年)のかばん持ち・付き人を経て、1970年に入門。1976年に二ツ目に昇進を果たし、1977年には「笑点」のレギュラー入り。お茶の間の人気者となった。
圓楽さんと釈迦尊寺住職の山崎奎一さんとの出会いは「何年だったか、40年も50年も前のことだから。5代目のかばん持ちとして迦尊寺にやって来た。寺に墓(用地)を用意したのは30年位前かな。墓を建てたのは2000年」。
2016年、圓楽さんは前橋市の観光大使を拝命。「観光大使になったのだから寺や前橋をPRしてもらいたいと言ったら、死んだら住民票を移す、死んだら前橋市民になるとか言い出した」。
この年、圓楽さんは山崎さんの得度を受けて僧侶になった。僧名は会圓生。戒名は泰通圓生上座(たいつうえんしょうじょうざ)。圓生は三遊亭の止め名で、一門のみならず亭号の中でも最高の名跡だ。「名に圓の字を使いたいと言ったら本人が、圓生を目指しているのだから圓生でいいというのでそれならと。上座は僧侶の位。僧侶としては駆け出しの小学生みたいなもんだけど僧侶の証し」と振り返る。
「タバコが好きで、喉の仕事なんだからやめろと忠告し続け、6~7年前にやめさせた。もっと早くにやめていたら、、、、お茶出しなど細かいことにも厳しかったが、まめで世話好き、とにかく噺がうまかった。80過ぎまで一緒に、と思っていた。もっと早くタバコをやめてくれていたら」とも。
四十九日は11月17日。これより前に納骨、前橋市民になる。