観音山で8月4日に開催された「万灯会」で、チンドン愛好会「高崎チンドン倶楽部」(高崎市飯塚町)がチンドン芸を披露した。
チンドンの発祥は1800年代にさかのぼる。当時、金魚、しじみ、豆腐などを売り歩く時に使われた「ふれ声=『きんぎょー、えー、きんぎょ』など」のうち、笛や太鼓を使い派手なパフォーマンスを披露していた「あめ売り」がルーツとされている。
現在、一般社会人の愛好会、早稲田チンドン研究会に代表される学生サークルなど、チンドン愛好者は全国広がっている。富山県で毎年開催されている「全日本チンドンコンクール」のアマチュア部門には、全国各地のチンドン愛好会が出場し、チンドン芸を競い合っている。「高崎チンドン倶楽部」もその一つで、過去3回の出場経験を持つ。
同倶楽部の座長、杉浦芳郎さんは杉浦紙工(同市飯塚町)の社長。「チンドンを始めたきっかけは、2003年の1月、厩橋チンドン倶楽部(前橋市)から『楽士が足りないので参加して』と頼まれたこと」(杉浦座長)という。中学生の時からブラスバンド部に所属し、高崎市内の医師グループのバンドでも活躍している杉浦座長は、演奏(ソプラノサックス、クラリネット)については全く問題がなかったが、初めての白塗りと派手な衣装には抵抗があったという。「ものすごく恥ずかしかった。その上ほんの数分テレビで流れた映像を見てしまった父親や高校の同級生から、『おまえなにしてんの』というクレームの電話が入った」(杉浦座長)と当時を振り返る。
そんな杉浦座長がチンドンに引かれたのは「ステージと違い、演奏者と観客との間に境がないため、観客の反応が手に取るようにわかる」ことからだという。2003年6月には、高崎をチンドンのある街にしようと「高崎チンドン倶楽部」を立ち上げた。現在、12人(男性7人、女性5人、年齢23~67歳)の座員とともに、イベントやパーティーのほか、要望があれば幼稚園などでもチンドン芸を披露している。
同倶楽部では現在、座員を募集している。経験は問わない。杉浦座長の名刺には「面接は随時。選考基準は私の好みと気分次第」とあった。